ギャラリーテン/gallery ten〜コラム vol.29 "オトナ・鯉江あかねさん""ホネのある若者・家原利明さん"

ギャラリーテン/gallery ten〜コラム vol.29 "オトナ・鯉江あかねさん""ホネのある若者・家原利明さん"

オトナ・鯉江あかねさん ホネのある若者・家原利明さん(ギャラリーテン〜コラム vol.29) <2010年4月号>

オトナ・鯉江あかねさん



↑ここで斬新な作品が生まれる

やきものの町・愛知県常滑に鯉江あかねさんを訪ねました。
あかねさんの名字を聞いてピンとくる方も多いのではないのでしょうか。
そう、あかねさんのお父さまは、日本陶芸界の重鎮(あかねさん曰く珍獣)・鯉江良二さんなのです。

鯉江家は大家族。
あかねさんのご両親、5人のご兄弟、お弟子さん数人。
しかも、いろんなジャンルの客人が絶えない。
しばしば大勢(数十人単位!)で囲む食卓があったとのこと。
学校から帰ったら、家族総動員で餃子を千数百個包む作業が待っていたり、食事の支度がハンパなく大切な役割だったのだそう。
良二さんがあらゆるメディアでとりあげられ、あかねさんは同級生から「おまえの父さん、またテレビに出ていたなぁ」とからかわれる。
こうして、著名人の父親を持つ多感だったあかねさんは次第に反抗的になり、早くこの状況から脱却したいと思うようになりました。

高校を卒業するとすぐに家を飛び出し、アパレル会社で4年間勤める。
その後、日本各地の温泉地を仲居としてまわったり、メキシコ、アメリカ、タイ、インド、ネパール、韓国、・・・など、放浪の旅を続けました。
3年前、常滑に帰ってきて、ふと気がつくと、布を使ってものづくりをはじめていました。

長年の旅での多くの出会いや経験が、今、あかねさんの作品にフツフツと表れてきています。
そして、父親の存在の大きさを改めて認識することに。
斬新で自由奔放な創造性を放つDNAが、たしかに受け継がれているのだと思います。
あかねさんの作家としての活動はまだ日が浅いのですが、並外れた感性の持ち主だと確信します。
そこには他の誰でもないあかねさん自身のアイデンティティのあらわれである独創表現がある。

「捨てられず、未だ取ってある布の端切れの様な生き方を私はしたい。そんな作品を私は作りたい。」
あかねさんのこのコメントは、ちょっと身にしみた。
なぜなら、突き抜けた面白い創作やライブの企画など、異端でアグレッシブな印象のあかねさんが、そういう謙虚な心持ちでいたのかと、とても意外に思いました。
でも、初めて会って以来、何度か食事をしたり呑んだりするうちに、あかねさんの真摯で誠実な人柄がわかるようになってきました。
ときどきチラつくオトナの言動に、より信頼と尊敬の念が増す。
時には人生の酸いも甘いもかみ分けてきた苦労人のような神経の細やかさ、時には育ちのよいお嬢様のような行儀よさが見え隠れするのです。
一生懸命な姿勢に、こちらまでゲンキのパワーを得られる気分になります。

あかねさんが子どもの頃、周りの人たちが常に忙しく、様々な場面に出くわす度に、
「今、どうしたらよいのか。」「何をして何をしたらダメなのか。」・・・と、絶えず自分の頭で考えることを余儀なく強いられてきたそうだ。
それらのことは、当時、辛くて厳しい体験だったのでしょうが、しかし、それらのことが、今の“オトナ・鯉江あかね”を形成しているのかもしれません。
もちろん作品同様、明るさ百倍というあかねさんの一面もあります。
今展の作品とあかねさんの人となりを合わせて楽しんでいただきたく、ぜひ在廊日にお運びください。


ホネのある若者・家原利明さん


家原さんとの出会いは突然でした。(というか、一方的にこちらから突撃したのですが)
昨秋、鯉江あかねさんを訪ねたとき、「ともだちでおもしろい人がいるんですよ。」と聞き、普段なかなかつかまらない家原さんが偶然つかまり即アポ。
すぐさま、あかねさんの車で名古屋の家原さん宅におしかけたのです。

たしかに、おもしろいアートを創るおもしろいヒトでした。
まずは風貌に一撃を喰らう。
長身で直径(?)40センチくらいのアフロヘア、柄シャツにダボダボパンツのぶっ飛んだいでたち。一見、ド派手なニイちゃんでした。
私がその日乗る東京行きの新幹線の時間までの15分ほどの短い間にお互い弾丸のように話し合った。意気投合した。なにか突拍子もないことができると思った。
実は、家原さん・あかねさん・私は、今年、寅年生まれの「年男・年女」。
“トラトラトラ!”で、虎が突っ走るようなキレある展覧会にしたいと気合十分!!!


↑家原さんのアトリエの壁
「ぼくは、小学校のころ、図工がずっと5でした。
図工クラブにも入っていました。
だから、いまでも図工が好きです。
体育と国語も5だったのですが、いちばん好きなのはやっぱり図工です。
図画工作はとてもたのしいです。」   ・・・というコメントをいただきました。
家原さんの話す文章も書く文章も、いつもロジカルかつ叙情あふれ、一本スジが通っている。
でも詩のような凝縮されたシンプルな文章もよく眼にする。
そんな家原さんがどんなコメントをくださるのか楽しみにしていたら、この低学年の小学生の作文のような文章。
「・・・・・?」
幼少の頃のピュアな想いが今でもそのまま家原さんの全身に宿っているのだと思う。
小学生の家原少年は、脚本を書き、サッカー部の友達とキャラクターデザイン、演出を手がけ、仮面ライダーの映画を作ったそう。
ヘルメットをハンダゴテでくりぬきマスクをつくったり、灰色の作業服を塗料で汚して悪者っぽくしたり、特殊メイクをしたり、怪人の衣装をお母さまに縫ってもらったり。
かなり全力投球で、かなり強いこだわりで、かなり熱狂的真面目さで“創作”していたスタンスは、全く今と変わらないのです。
これは大人に成長していないのではなく、図工を極めようと進化してきたといえるでしょう。
また、「ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ」と柔らかに微笑む、人生を達観した老人のようでもある。
観光が趣味という彼には、その場の空気を俯瞰で客観的に観察し、おもしろがる才能があると思います。
“観る”感性が蓄積し、家原ワールドの引き出しがどんどん開いて、意図や邪心に侵されることなく思うままのカタチになった作品には勢いが感じられます。

今回の家原利明さん&鯉江あかねさんコンビに接して、久しぶりにホネのある若者に会った気がしました。(なんだか年寄りくさいな。)
パッションと質実剛健が共存していて、何より素直だ。
“芸術は爆発だ”という岡本太郎さんのフレーズが、おもわず頭をよぎった。
この展覧会を体感してください。必ずや、活力が充電されること、まちがいなしです。

 

コラム vol.29 "オトナ・鯉江あかねさん" "ホネのある若者・家原利明さん"