ギャラリーテン/gallery ten〜コラム vol.34 "今井一美さんの用の器" "ボス・須田栄一さん"

ギャラリーテン/gallery ten〜コラム vol.34 "今井一美さんの用の器" "ボス・須田栄一さん"

ギャラリーテン  今井一美さんの用の器 ボス・須田栄一さん <2011年2月号>
今井一美さんの用の器

今井一美さんの作品とは長〜いおつきあい。私の器好きの歴史とほぼ同じ長さです。
gallery tenでの今井さんの展覧会は3年前。当初今井さんの器に出会われたお客さまの多くが、常設コーナーの彼女の器を少しずつ買い足されていきます。
子ども用に買ったが自分もほしくなった、お友達にさしあげたらとても喜ばれた、あまりの使い勝手の良さにもっとほしくなった、
色鮮やかな器が食卓を楽しくする、料理が美味しく見える、ガンガン洗っても丈夫だ、・・・・・。
たしかに今井さんの器は見た目や感触の魅力だけではなく、“用”の機能性をも十分満足させてくれます。

ある日、雑誌の記事で、ピアニストの辻井伸行さんの食卓の写真に今井さんの器が使われていたことを友人から聞きました。
ドキュメンタリー番組等でよく辻井さんとお母さまのご様子を観てきて、私は「さすが!今井さんの器をお使いになるとは、納得納得。」と思っていました。
なぜなら、今井さんの器のカタチ、厚み、手触り、重量感、サイズ、・・・、どれもが、器としてとても心地よいもので、


ネギ、ソラマメ、ホウレンソウ、オクラ、シシトウ、
サヤエンドウ、アズキなど、器が美味しそう♪
全盲の方にも彼女の器によって料理がよりおいしくなることが伝わるのだと確信できるからです。
しかも、器の絵付けの楽しいこと。季節の野菜や果物などが彩り美しくキュートに描かれている。裏側や内側にまで遊び心がたっぷり。
この絵柄は一緒に食事している人たちの間で、きっと何度も話題にのぼることでしょう。
伸行さんのお母さまが彼のためにたくさんしてこられたことのうちの一つに彼女の器を選ばれたのだと勝手に納得していたのです。
ところが、実は、お父さまが今井作品のファンなのだそう。
あのすばらしい伸行さんのピアノ演奏は、天性の“音感”がご両親のあふれる“温感”によって育まれたものなのかもしれません。

明治時代以来、近年あらためて“食育”が注目されています。
食が身体・精神をつくるということを再認識し、それが私たちの心身の健康にどれだけ大切なものかを実感してきました。
そして、それらの食が、お気に入りの器や楽しい器に盛られたら、一層ほっこり心豊かになる瞬間が味わえるはず。
私たち日本人の食事は、器が唇に直接触れたり、碗ものや小皿などを手で持ち上げたり、大皿でも手を添えたり、
箸がコツコツと器にあたったり、多様な材質やカタチの器に盛ったり、蕎麦をすすったり、・・・と、五感をフルに使って行います。
食器として食材を容れるだけのものではなく、食材の見栄え・美味しさ・雰囲気を高める器の威力は大きいと思います。

今井さんご自身が、地に足のついた“生活者”であることが、これらの器を生み出す源であることがわかります。
日々の地道な生活を通して体に入っていく感覚が、作品に反映されているということ。
以前、今井さんから「片づけられないけれど(苦笑)大胆に行動できる表田さんと、片づけられるけれどビビりで慎重な私、どちらがよいのかなぁ。」と言われました。
実際、私は死ぬまでこの性分は変えられないと諦めているのですが、もちろん今井さんに軍配が上がるのは間違いありません。
今井さんの器の気持ちよさは、慎重に几帳面に思考と分析と努力を重ねてこられたことの結晶に他なりません。
より多くの方に今井さんの器を体感していただきたい。ただ、ダイエット中の方には、おすすめできません。美味しくて食べ過ぎてしまうからですよ。



ボス・須田栄一さん

茨城県つくばにボスあり。その名は須田栄一さん。
須田帆布ブランドをしょってたち、強い信念を持ってバッグづくりに邁進。
ご家族やたくさんのお仲間たちからは、やんちゃな兄を見守るような眼で“ボス”と慕われていらっしゃいます。

須田さんは30歳で会社員を辞め、チェーン展開されていた雑貨店を始めたが、本部から送られてくる売れ筋の商品は全く売れなかった。やむなく半年で閉店。
その頃、近所のライブハウスに出入りしていた売れない(?)ジャズバンドのメンバーとの出会いが今の須田帆布誕生のきっかけに。


広い工房に裁縫機械が整然と並ぶ



須田ダダダダ・・・!
新たに始めた店では彼らオリジナルの手作りTシャツが売れに売れた。
「オレだってバッグくらいなら作れるんじゃないか・・・。」と、ムクムクと須田さんの闘志が湧いてきた。
しかし、ド素人の須田さんは、学校に行くことも弟子に入ることもなく、試行錯誤を繰り返し自己流でバッグを手作りしていった。
感性の赴くまま作ったバッグを、当時できたばかりの東急ハンズで扱ってもらえることになり、なんとこれがバカ売れしたのでした。
こうして1986年、須田帆布が稼働し始めました。
私が須田帆布を初めて知ったのは3年前でした。
日本を代表する大工で知人でもある阿保昭則さんの建築による須田さんのつくばの新しいお店の完成見学会に招かれました。
阿保さんのつくりだされる空間と須田さんのつくりだされるモノが、まさにシックリなじんでいます。
精錬で質実剛健、そこに“あそび”があり、じっくり向き合おうという意気込みが感じられるお二人の作品。
好きだなぁとか自分の心の琴線に触れるものには貪欲で情熱的、ガキ大将がそのままオトナになったようなお二人でもあります。

「スダダダダダ・・・!」と、工房のミシン音が響く中、頑丈な帆布が縫い合わされ少しずつ形になっていく。
ひとつのバッグに成っていくための数々のパーツは、ふつうなら省いてもよいのではないかと思いがちな工夫だらけの面倒な作業。
たとえば、底の部分にかなりの強度をもたせるため縫い付けられた何重もの帆布。
ファスナーをシャ〜ッと勢いよく開けられるためにサイドに縫い付けられた押さえのベロ。
バッグの内側や外側に縫い付けられた納まりのよいスペースやポケット。
常に「こうしたら使いやすくなるなぁ」とか「ああしたらおもしろくなるなぁ」と、須田さんの頭の中を巡っている。
素人だからこそ生まれた自由な発想とでもいうのでしょうか、須田さんのアイデアがどんどん輩出されていきます。
備わっている気の利いた便利な機能が、同時にデザインになっています。

須田さんの元に、相当使い込まれボロボロになった須田帆布のバッグが修理にと持ち込まれたことがあるそう。
「こんなになるまで使ってくれたんだ。そしてコレをまた修理してもっと使ってくれるんだ。」という感激のできごとでした。
また、気に入ってずっと使っていたバッグをもう一度作ってほしいとの要請に、廃版を一点のみ復刻作成されたことも。
カラダの一部なのか相棒なのか、須田さんのバッグは、簡単には手放せない存在になっていくのでしょう。

須田さんは、「ダサいバッグをつくり続けていきたいんだ。」と熱くおっしゃいます。
“ダサい”の意。それは「田舎くさい」とか「格好悪い」というのとは少し違い、「カッコつけていない」「媚びない」「誠実な」ということ。
’60〜’70年代、一世を風靡したフォークシンガー・高田渡さんに惚れこんだという須田さん。
時代を独自にとらえ、独自の世界をダイレクトに表現する。多くの人たちのハートを掌握している所以。高田さんも須田さんも。
“須田帆布的”というキーワードをよくおっしゃる。
その定義は、須田さんの頭の中にある確固とした“ダサい”イメージがカタチになる前の無垢な精神性ではないでしょうか。

コラム vol.34 "今井一美さんの用の器" "ボス・須田栄一さん"