ギャラリーテン/gallery ten〜コラム vol.59 "山岸厚夫さんのジーンズ感覚の漆器" "井内素さんの美意識" "平島毅さんの絵"

ギャラリーテン/gallery ten〜コラム vol.59 "山岸厚夫さんのジーンズ感覚の漆器" "井内素さんの美意識" "平島毅さんの絵"

<2013年10月号>

山岸厚夫さんのジーンズ感覚の漆器

20年ほど前の私には、漆は扱いが大変で保管も気を遣うし、何より高価で簡単には買えない“敷居の高い”器という存在でした。
当時通いつめていた都内のギャラリーでは、やきものはチョコチョコ買い求めるも、漆器にはどうしても手がのびませんでした。
そのオーナーの方が長年使い込んだ艶々の角偉三郎さんの椀などを見せていただいていましたが、やはり躊躇して買えませんでした。
それから5〜6年、当時の自宅の近所にあったギャラリーで山岸厚夫さんの漆器に出会いました。
ガサツな私でも「コレならどんどん使えるのではないか♪」と思わせるような、骨太の器でした。
思い切って銘々皿を1枚買ってみたのが、漆器の魅力にハマる第一歩だったのです。
その1枚はすぐに日常使いのヘビロテものとなり、まもなくして調子に乗ってあと9枚と、大きな盆まで買いに走りました。
それからは、家族の食事の取り皿に、来客に出す菓子皿に、娘の運動会やピクニックにも持ち出しました。
この頑丈さ、使いやすさ、気軽さには、訳があります。
本来の塗りの最初の段階では、乾燥した木地に砥の粉と生漆を混ぜたものを木地に塗り下地にしますが、 研究熱心な山岸さんは、文献を読まれたり、ご自分でいろいろ実験をされたり。
太古の漆器の手法である木地に生漆を染み込ませる“木固め”が丈夫な漆器をつくるポイントだと認識。
漆を通常より多く消費するため原価は高くなるのですが、 使って使ってアジが出るジーンズのような漆器をめざし、この方法で制作されています。


山岸さんのアトリエ
英語で“Japan”と呼ばれる漆は、日本だけで使われるものではありません。
たとえば湿度の低い海外などで日本の漆器を用いる際、まれに木地が縮んで塗った漆にヒビが入ったりすることがある。
それを解決するため、木の粉を樹脂で固めて型で抜いたいわゆる“木乾”地に漆を塗っていくものがあります。
今回、漆器初心者や海外での使用者の方にお勧めしたいと作っていただいています。
使いやすい上、金額も木地の3分の1以下という手ごろさはうれしいです。
逆に考えると、塗りは言うまでもなく、木地を作るだけでも相当手のかかる工程を経ていることがよくわかります。
福井県・鯖江市にある山岸さんのアトリエは古民家の落ち着いた空間で、古い農具や作品が置かれていました。
山岸さんご自身は、誠実で温かくてまっすぐ。すぐにこちらが気を許してしまうほど親しみのもてる方です。
今回の食事会、会期初日に在廊されます。山岸さんの人となりにも触れていただきたいと思います。


井内素さんの美意識


素焼きの状態

京都・伏見の井内素さんの自宅兼アトリエは、昭和の古い民家を知人の建築家によって改装され、気持ちの良い建物と空間になっています。
高知で生まれ育った井内さんは、高校を卒業後、ミュージシャンをめざし、お母さまの京都のご実家に住まいながら活動。
23歳のころ、陶芸家のお父さまが他界され気持ちのチャンネルが替わり、
なんとなく自分もやきものの世界に入ってみようかと思い立つ。
京都伝統工芸専門校で2年学び、叔母様が趣味で陶芸をし窯もお持ちだったところに入り、作陶を始めました。
井内さんの作品の魅力は、ムダをそぎおとしたシンプルな造形と、土器のような肌の質感と色味。
ろくろで引けば成形も早いものを、ヒモづくりで手びねりでコツコツと作り上げていきます。
肌には指の跡が残り、これが何とも言えない手触りと景色を生み出しています。
普通は、粘土を成形し、乾燥、素焼き、本焼きという工程でやきものが作られることが多いですが、
井内さんの場合は、素焼きを一度し、そこに黄土で化粧を施し再度素焼きをします。それから本焼き。
この工程を加えることで、井内さんのめざす肌合いができあがるのです。
奇をてらったところがなく、静かに強く存在感を表す井内作品。
彼の高い美意識のもと、あらゆる条件のバランスを兼ね備え、品格さえ感じられます。
井内さんは、淡々とよどみなくマイペースで作陶する。
若干40歳にして、迷いがなく落ち着き払っている。何かすごい才能を秘めている気がしてなりません。


平島毅さんの絵

いつも元気いっぱいでオープンハートな平島毅さん。
そんな平島さんが、一昨年の東日本大震災の直後しばらくの間、絵が描けなくなったと。
一時、家族は奥さまのご実家のある岡山に避難しました。
悶々と過ごしていた時、漫画家の井上雅彦氏が、東北の被災地に向けてツィートされているのを見て、ハッと我に返ったのだそう。
「自分も何かしなければならない。絵を描くことで何かできるのではないか。」と考え、すぐに東京の自宅に戻りました。
とにかく、復興や鎮魂を祈る絵を毎日毎日一つずつ描き、今もなお描き続けています。
それらの絵は、スクラップブックに何冊も描きためられていました。
百貨店などで、ライブペイントを通して、目の前の人が、心から喜んでくれる顔。
何か力になれる喜びを感じ、それはシリーズとして回数を重ねています。

イラストレーターを目指していた平島さんが、自分の表現として選んだ“ろうけつ染め”の手法。
まずは布全体にロウでマスクし、ニードルなどで引っ掻いてロウを削り、削った部分を染め上げる。
削る行為は紙にペンで描く感触にとても近くて、線を扱いやすいのだそう。
布の精錬→地入れ→下図書きを経て、1色染める毎に“防染→彩色→定着→脱ロウ→色止め材塗布”を繰り返す。
これらの工程を経て、あの色彩豊かで愛にあふれる優しい絵が、私たちの心に滲みてくるのです。




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