ギャラリーテン/gallery ten〜コラム vol.22 "アロンサイスさんLOVES桃山""沖眞理さんのおばあさま"

ギャラリーテン/gallery ten〜コラム vol.22 "アロンサイスさんLOVES桃山""沖眞理さんのおばあさま"

アロンサイスさん LOVES 桃山 沖眞理さんのおばあさま(ギャラリーテン〜コラム vol.22) <2009年4月号>
アロンサイスさん LOVES 桃山

益子にあるアロンサイスさんのアトリエとお住まいは、赤と黒の二色で構成されています。
遠くから眺めても、一面の畑の中でひときわ異彩を放っている建物。
赤×黒の配色は、アロンさんがニュージーランド人だからこそシックリくるのかもしれません。
ニュージーランドの先住民族“マオリ”を象徴するカラーだからです。
初めてアロンさんのアトリエを見たとき、安芸の宮島の厳島神社が私の頭をよぎりました。
よくよくみると、アロンさんの赤はイチゴやポストのような真っ赤。
神社にみられる赤は朱や弁柄のような少し黄味がかった赤。ちょっと違うか・・・。
そんなことを思いながら、アロンさんの描いた絵をたくさん見せていただいていると、やはり赤×黒の配色が多い。
でも、この赤は朱色。
聞くところによると、墨汁の黒と赤を買ったら、朱赤であることに気がついたが、いざ描いてみるとこの赤が気に入ったとのこと。
“和”の配色だ。

そもそも、アロンさんは我が国の桃山時代の茶陶に強烈に魅せられたことから、日本での作陶人生がはじまりました。
この時代、かの古田織部が生んだ斬新な造形や装飾のうつわ。
長い年月を経てもなお、日本人のみならず外国人の心をとらえてやまない。
渋い織部釉や黄瀬戸釉による、アロンさんのポップでアヴァンギャルドな意匠から作り出されるモノは何一つ同じものが存在しない。
桃山の陶器がいまだ絶大な魅力と新鮮さを発しているように、アロンさんの作品も遠い将来そうありたいとご本人はおっしゃいます。

自由人のアロンさんは、気分と勢いに乗ってドワーっと手が動くとき以外は土と向き合わない。
何ができるのか、そのときでなければわからない。
来日前、ニュージーランドやオーストラリアで陶芸を学ぶが、そのうちマニュアルどおりの制作がつまらなくなり退学。
来日後は、芸術の神様がすーっとおりてくるかのように、想いのまま、その世界に没頭するのが、アロンさん流。
もちろん、やみくもに創作しているのではなく、熱心な研究や試行錯誤を繰り返し、独自の哲学をもってして行われているのは言うまでもありません。
釉薬の微妙な色目やアンバランス(実は絶妙なバランス)な形と独特の絵付けが、ひとつに超(調)和しているのは個性や才能だけでは成し得ません。

アロンさんのルックスはパンクそのもの。
10センチ以上立ち上がったツンツンのモヒカンヘアに、体のいたるところに漢字のタトゥが彫られています。似合いすぎるっ♪
初対面のとき、一瞬ギョっとしましたが、話をするとやけにシャイではにかんだ笑顔がかわいらしくさえ感じられます。
アトリエやお宅の中の壁もやはり赤と黒が基調となり、白いペンキで一面に落書きされている。
落ち着かないようで妙に落ち着く空間。不思議でおもしろい感覚。
なんとなくつかみどころのないアロンさんと話していると、たまにビタっと波長の合う瞬間があり、それも楽しい。
愛犬の黒いジャーマンシェパードが暴れだし、「オスワリぃ、オスワリシナサイぃ!!!」と必死で掛け声をかけるアロンさんとワンコの絡みもまた一興。
なにからなにまで奔放なアロンサイス・スタイルなのです。
今後、“アロニズム”が、何かをやらかしてくれるはず。絶大なる期待とエールを贈ります。

 

沖眞理さんのおばあさま

広島に暮らす沖眞理さんの作品の原点は、おばあさまの繕い仕事。
ご両親が共働きで一人っ子の眞理さんは、“おばあちゃんっ子”として子供時代を送ってこられました。
縁側でおばあさまが破れた布をつくろったり、ほどいた毛糸で編んだり、裂き編みをしたり、毎日毎日、針仕事をいつも間近で見ていました。
眞理さんが小学校の低学年の頃、お父さまの冬用のソックスを見たときの衝撃がいまだに鮮明なる記憶に。
ソックスの底部分が分厚く織られているサマがきれいで、でもよく見ると細かく針でステッチされた針跡が織りのようになっていたとのこと。
子供心に感動を覚えたこのことが、もう数十年も眞理さんの体に染み入っているのです。

18歳の頃、パッチワークに興味を持ち、いろんな生地を買って楽しんでいましたが、その10年後、飽きてしまったのかいきづまったのだそうです。
ある日、本屋で“クレイジーキルト”の本に出合いました。
これは、きれいにカットしたピースをつなげるキルトとは違い、切りっぱなしの布を自由に置いて縫い付けていくというもの。
「おもしろい!」 これが、今の作家活動につながっていくきっかけとなりました。

作家になられて改めて確信したおばあさまからの“すりこみ”。
ふと家にあったざぶとんに眼を向けると、おばあさまがその時にありあわせのいろいろな毛糸をつなげて編まれた唯一無二のクレイジーでキュートな手仕事。
まさに型にはまらないものづくり。
眞理さんのお父さまから「ダメ」ということばを全く聞かずに育てられたこともあるのか、窮屈だったり縛られたりキチキチとしたりすることが苦手。
そんな性分の心身におばあさまの針の仕事が深く浸透し、確かに生活の一部となったクレイジーステッチ。
風邪などで寝込んでいない限りは、針とミシンを触らない日がないとおっしゃいます。

手縫い、ミシン、手縫い×ミシン・・・・・と、進化し続けている眞理さんの作品は、ステッチの色や線や布とのコンビネーションの楽しさだけにとどまりません。
使って洗うということを繰り返していくうちに、生地がなじんできたり味わいがでてきたりします。
そして、例えばミシンでステッチした上糸と下糸の縮み方の違いで起こる生地のウネ。手縫いでも使う糸の素材や縫い幅や力の違いでできるウネ。
このウネがお好きなのだそう。
ゆえに、使っていくほどに、作品が予想のつかない風合いに育っていく。
もとを正せば“もったいない”精神から、つくろってまた使えるようにしていくというおばあさまの行為。
しかし、こうして手をかけていったモノには、愛着という付加価値が備わり、さらに長く使い込まれ、そのうち空気に近い存在になっていくのでしょう。

ここのところ眞理さんの心の大半を占めていることが、保健所で保護されたワンコの里親を探す活動。
個人で保護するには限界のあること。
一人でも多くのヒトが、カンタンに飼わない、カンタンに捨てない、そして命の尊厳を守る、・・・という、ヒトへの啓蒙活動です。
針と糸による再生を追及していくことによって、“命をつなげる”ことの大切さに気づかされるという必然性を感じずにはいられません。

 

コラム vol.22 "アロンサイスさん LOVES 桃山" "沖眞理さんのおばあさま"