ギャラリーテン/gallery ten〜コラム vol.20 "花岡隆さんの器""高田晴之さんの器"

ギャラリーテン/gallery ten〜コラム vol.20 "花岡隆さんの器""高田晴之さんの器"

花岡隆さんの器 高田晴之さんの器(ギャラリーテン〜コラム vol.20) <2008年12月号>
                             





























花岡隆さんの器

gallery ten で、花岡さんの展覧会をさせていただくのは、2年前、1年前、そして今回の3回め。
必ず花岡さんのファンのお客さまがいらっしゃり、少しずつ器を買い足していかれます。
私自身もそうなのですが、花岡さんの器をひとたび使うと、“花岡マジック”にかかり次々と欲しくなってしまいます。
たぶん器のもつ包容力、モダンなたたずまい、気品の高さに魅せられてしまうのだと思います。
ウチの娘も数ある器の中から、「これは花岡さんのだね」と見分けます。

器の本や、料理研究家の本、ライフスタイルの本など、あらゆる誌面で花岡さんの器を見ることが少なくありません。
どの場面でも器が主張することがないのに、料理が器に活かされていることがわかります。
ゆるぎない器の奥深さを計り知ることができるのです。

花岡さんは、趣味人でもいらっしゃいます。
音楽、美術、旅、食、酒、・・・・・、そして自転車。
日本全国、いたるところで行われるツーリングイベントにも参加されています。
100キロ以上の距離を走られることもあるそう。
2年前の展覧会でいらしたとき、花岡さんの自転車のお話を伺い、私の夫は自転車にハマってしまいました。
あっという間に、自転車の雑誌が山積みとなり、ウエアから雑貨から、いろんなものが宅配便で続々と届くようになりました。
先日の花岡さんとの電話で、「走り始めるとよい自転車がほしくなるらしく、主人がもう2回も買い替えたんですよ〜。」と私がグチったら、
「それはそれは悪いことを教えてしまいましたなぁ。」との失笑まじりのおこたえが。

多くのご趣味をもたれ、人生を楽しんでおられることそのものが、創作の礎となり、よいものをうみだしていかれるのだと思います。
花岡さんの器には、あらゆる“楽”と“美”の感性が凝縮されているような気がします。

高田晴之さんの器

昨年の夏、塗りの町・輪島に高田晴之さんを訪ねました。
私の父の故郷でもある輪島へは、小学生の頃以来はじめて。
金沢から乗り込んだ高速バスの車窓からみえる能登の日本海の懐かしい風景。
ウチから車で30分の九十九里のなだらかで穏やかな海岸とは違う。
防風に植えられた松の木々は、荒くて冷たい海風に耐え、全て内陸側に傾いて立っている。
バスに揺られ、海岸線を眼で追いながら子供時代の想い出に心をはせているうち、知らない間に眠ってしまっていました。

輪島の街中にある「わいち」さんというお店で高田さんと待ち合わせ。
こちらは、高田さんをはじめ、桐本泰一さん、赤木明登さん、・・・、現代の漆器づくりをしょってたつ輪島の9人の作家によって作られたギャラリー。

漆の作品ができるまでには、気が遠くなるほどの数多くの工程があります。
椀木地・指物・朴木地・曲げ物などの木地づくり⇒下地塗り⇒研ぎ⇒中塗り⇒研ぎ⇒上塗り⇒呂色・蒔絵・沈金
下地塗りの段階では、布着せをしたり、地の粉の粒子の粗いものから細かいものまで何度も塗り重ねられたり、この工程の出来が器の良し悪しを左右する。 
木の塊から漆器になるまでの多大な時間と手間をかけてつくられた職人の魂の結晶。
古くなったり傷ついたりしても、塗りなおしてまた使い続けられるようにする。
これらは、カンタン、スピーディが良しとされる現代社会の動向とは対極の手仕事の世界。
室町や江戸の時代の漆器が骨董品として残っているほどなので、一生ものどころか代々引き継いでずっとつかっていくことができる器なのです。
英語で“JAPAN”といわれる漆芸品は、まさに日本を象徴する伝統工芸の最たるものでしょう。

ふつうはそれぞれの工程にそれぞれの職人さんがおられ、分業制でひとつの作品が完成する。
高田さんご自身も、福田敏雄さん、赤木明登さん、斬新な蒔絵作家で奥様でもある山口浩美さんに納める椀木地師。
また、美大で木工を学ばれた広島ご出身の高田さんは、木地師だけではとどまらず、木地から塗りまで一貫して創作される珍しい漆芸作家でもいらっしゃいます。
この高田さん独自の作品は、伝統的な輪島塗に新しい風を吹き込むようなオリジナリティにあふれています。
塗師(ぬし)としての“塗り”ではなく、木地師×塗師としての“塗り”がそこにあるのです。
木地の造形や木目を存分に活かすための“塗り”とでもいえるでしょうか。
高田さんの作品の特長のひとつに、イチョウ材を使ったシリーズがあります。
漆にはケヤキ材を使われることが多いのですが、イチョウの漆器は驚くほど軽く、木目も繊細です。
お椀を手にしていると、軽くて薄くてまったり滑らかで、体温と料理の心地よい温度が器を行き交ううちに、お菓子のグミをもっているような感覚となります。
なんとも優しい器。
高田さんの作品で、ほぼ同じ椀型のケヤキのものとイチョウのものとでは、イチョウのものが価格が数割安い。
尋ねたところ、どちらの材も原価は同じだが、塗る回数がイチョウのほうが少なくてすむ分の手間の差だとのこと。
なるほど、これはありがたい。

「漆って手入れが大変だから扱いづらい」と敬遠される方も多いかと思います。
過去、私もそのうちの一人でしたが、いざ使ってみると、スポンジで洗って拭いて乾かすだけ。ただそれだけでした。
しかも使う毎にどんどん器が育っていき、買ったときより魅力を増す。使わなければならないのです。
手にもったり唇にあたったりするときの感触のよさ、料理やお菓子を盛った瞬間の格調が高くなる感じ、
配膳したときのやきものやガラスや金属の器とのシックリとくる洗練セッティング、幼い子供にも安心、・・・・・。
もし漆器を人に例えるなら、昭和のホームドラマにでてくるような良妻賢母な女性をイメージします。
ただ、高田さんのシャープでモダンな器には、平成のデキるオンナをイメージします。
サラっとステキな漆器で料理が盛られていたら、かなりかっこいい!
今回、食事会でお世話になる料理家の佐藤純子さんのお宅には、膨大な量のいろいろな漆器があり、
眼からウロコがおちる想いがしました。
アクセントとしての漆づかいではなく、やきものとのバランスを変えていくことで、テーブルの上の表情がいかようにもなりおもしろい。
意識改革された私は、今後、徐々に塗りモノをそろえていきたくなりました。

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