ギャラリーテン/gallery ten〜コラム vol.31 "クリエイター・羽生野亜さん""異邦人・横山拓也さん"

ギャラリーテン/gallery ten〜コラム vol.31 "クリエイター・羽生野亜さん""異邦人・横山拓也さん"

クリエイター・羽生野亜さん 異邦人・横山拓也さん(ギャラリーテン〜コラム vol.31) <2010年8月号>

居心地のよいリビング

クリエイター・羽生野亜さん


茨城県古河市に羽生(はにゅう)野亜さんを訪ねました。
古河市の少し西側には、埼玉県羽生市がある。
何か関係があるのか尋ねたところ、お生まれは神奈川ですが、ご先祖は鹿児島県種子島で、羽生姓の人が多いとか。
「野亜」は、おばあさまが聖書の「ノアの方舟」から名づけられたそうです。性別がわからない名前なので、女性かと思われていることも少なくないと。
それにしても字面もゴロも、とてもよいお名前だ。

羽生さんのお家は昭和60年代に建てられたものをご自身でリフォームされたもの。
ところどころ、壁を外したり、ガラスに取り替えたり、意匠をこらした建具や作り付けの家具を配されていたり、・・・・・。
また、中国のどっしりした家具の上に、ラオスのアンティークの彫刻、マルセル・ブロイヤーやテルエ・エクストレムなどの名作椅子もある。
窓際には斜めに渡された溝をきった桟が作られていて、お嬢さんがビー玉をころがして見せてくれました。
至るところに遊び道具のようなものがあるのに、どれも子どもっぽくなく、インテリアのアクセントとなって部屋に溶け込んでいました。
お昼ごはんをご馳走になったときも、いろんな作家の器でステキなテーブルセッティング。
どこをとってもヌカリのない羽生さんの暮らし。


広い雑木の庭に、アトリエ、資材置場、倉庫が。
大きな二つの資材置場には、大量の木材が積まれていました。大谷石とカラフルな板の外壁の倉庫は、カフェのような外観。
この土地に建つ全ての羽生さんが手がけた建物に、彼の感性の高さがうかがわれます。

羽生さんは、多摩美のデザイン科を卒業後、会社員となりプロダクトデザインの仕事をされていました。
2年間努めた後、退社。自分でデザインした工業製品に魅力を感じられなかったのだそうです。
なんとなく木に携わりたいと思い、木曽にある職業訓練校の木工科に入り、家具づくりの基本を学ばれました。
独立後、木を目の前にして、試行錯誤、いろんな創作に取り組まれました。
そして、年月を経て風化し朽ちてきた流木のような木肌を新しい材で作り出す技法にたどり着きました。
年輪の密な線が立ち上がり、幅広の部分は削れており、アウトラインも自然に古くなったようなテクスチャー。


また、丸太の木を彫刻のようにくりぬいてカタチづくっていく作品もあります。
表紙の写真のスツールは、シュリザクラという赤みの強い丸太から作られたものです。
もちろん成形までの過程の大変さが察せられますが、このできあがった斬新なカタチにうっとりするばかりです。
鉄との組み合わせの作品もたくさん発表されています。鉄の溶接なども羽生さんご自身で。
カクカクとしたシステマティックな鉄組みに、板状の木を合わせる。
多種多様なコンポジションを自在に楽しめるような仕掛けがあったり、コンパクトに入れ子になったり、作品のバリエーションは豊かです。
羽生さんは“木工家”というより“クリエイター”という方がピッタリきます。

gallery ten での展覧会の依頼をしたのは4年以上前。いや〜、待ちました(笑)。
今回、棚、テーブル、椅子、スツール、器、台、・・・・・。たくさんたくさん展開する予定です。今からウキウキ♪



異邦人・横山拓也さん


私は横山さんの作品が好きだ。
なんともいえないひび割れた白い肌。白ペンキを塗って雨風にさらされてはがれてきたようなピリピリのひび割れ感。
彫刻のようなフォルム。重く分厚い胴体が端にいくほど薄く鋭くなって、相反するものが共存する緊張感。
小気味よいアンバランスさ加減。
手にもったときのどっしりとした重量感と、大きいライチのようなものを手のひらに抱くような触感。
美しい“かたまり”としての存在感。
料理を盛っても、野草を生けても、文房具を入れても、ド派手な色のシャーベットをのっけても、和ろうそくを立てても、土のついた野菜を置いても、・・・・・。
すべてを受けとめ、それらを活かし、自身の謙虚かつドヤ顔な大地のような在り様がある。
私にとって、非の打ち所のない、強大な惹きつけられる要素満載の作品なのです。
今回の二人展のお相手・羽生野亜さんの作品は素材が木で違えども、共通点が非常に多い気がします。

3年前に gallery ten で展覧会をさせていただいたときの横山さんと、現在の横山さんの意識は大きく変化したようです。
以前は、日本庭園の石や寺社仏閣に惹かれ、その計算されつくした美にインスピレーションを得、神経を尖らせてものづくりを追求しておられました。
先日お会いした横山さんは、トルコ旅行から帰ってこられたばかりで、何か遠くを見つめているような(単なる時差ボケだったのか?)ふんわりとした印象を受けました。
横山さんは、トルコには学生時代にも何度か旅したことがあるとのこと。
アジア・ヨーロッパ・中東をミックスしたような、イスラム民族独特の空気感は、日本とは全く異なるものなのでしょう。
トルコの町を歩いている横山さんを想像するに、どっぷり溶け込んで何の違和感もなさそうな光景が目に浮かんできます。
風貌も生粋の日本人というよりは、「トルコ人の血が入っています」と言われても、疑わないほど。笑えるほどしっくりきます。
普段の慌しい生活とは、リズムもこだわりも価値観もくつがえすようなトルコで、横山さんは大きくリセットされたのかもしれません。
最近の作陶については、イイカゲンでテキトウになり、一度考えてみるのをやめてみたと。
作家としてのステージがダウンしたかもとおっしゃいました。
言葉やアタマで理解するより、体でものごとを感じたいというスタンス。
しかしながら、横山さんの作品の放つ圧力(≒絶大な魅力)は、じわじわと変化していることをわからせない変化によって増しているのを感じるのです。
多くのことを俯瞰で観た上で、感性の赴くままのおおらかな創作。これは、ステージが数段上ったことをあらわすのだと確信します。

不思議なことに、横山さんからは、野心とか欲望とか快楽というものを全く感じられません。このことは、ずっと以前からそうです。
常に淡々とやってのける一匹狼のような人だ。
また時々おちゃめな一面をのぞかせたり、地理・歴史やプロレスやお好きな作家さんに対しては、子どものように輝かしくおしゃべりするという一面もあり。
前回の展示の際、ご自分の器にウチの庭から何か適当に草花を切ってきて生けてくださいと言ったら、5センチほどの雑草のスギナを一本持ってこられた。
ホント自然体な人だなぁと思う。

先見の明があるかどうか不確かな私ですが、ここで宣言しよう!
「横山拓也は、後世、名を残す稀代の陶芸家になるでしょう。」
タイムマシーンに乗って、未来の工芸界のことを観て確かめたい気分です。
それほどまでに、私は横山さんの作品が好きだ。

コラム vol.31 "クリエイター・羽生野亜さん" "異邦人・横山拓也さん"